むかつき胃のもたれ

2001年10月24日
ちょっと昔に食いかけだったおやつ。
半分くらい食ったんですけど、
味がなんか思ってたのと違って
全部食べる気がしなくなっちゃったんです。
てなときに、捨てたいんだけど、ぽいっとおやつを捨てられない貧乏性なわたし。
そして引出しの中で腐らせちゃう。
大事に大事に食べてるロングセラーなおやつと、腐ったおやつと、新しくておいしい(おいしそうな)おやつを同じ引出しにしまっておいて、平気なタイプの人間。
ずぼらですか?
嫌いですか?

そういえば小学生の頃、「引出しの整理が下手」と通信簿に書かれたことがあったっけ。


それはそうと、
自分があたりまえだと思っていることを、
他人に平気で踏みにじられたりすると、
えもいわれぬ不快感がもよおします。

しかしだからといって自分の中の常識をひとさまに押し売りしてはいけません。
だって自分も間違いなくどこかのだれかの常識を踏みにじって、
どこかの誰かを不快にしているはずだから。

とは言っても、
やっぱり、びっくりするほど自分と相容れない主義主張や言動を見ると、
思っちゃうんです。
こいつ、嫌い。と。
つい昨日まで好きでも今日いきなり拒絶反応が出て嫌いになったり。
(今日某人が似たようなことを言ってたけどわたしもそうだなあとおもった)
こうやって嫌いを少しずつ増やしていって、わたしはどんどん「孤独」に近づいて行きます。
たしか中学生の頃つけていた日記にも、
自分のこの「他者排斥」の傾向を憂いた記憶があります。
情けない話ですが
基本的なところで、私の中味は、その当時から進歩がないのでしょうね。

それにしても、
どうして得ることによる喜びより、失することによる落胆や悲しみのほうが、心を大きく占めてしまうのでしょう。


親切な人は自分に親切がかえってくることを期待している。
やさしい人は他人にも自分へのやさしさを期待している。
気の利く人は人にも気を利かせてほしいと望んでいる。
こんなこともあんなこともしてくれるひとは、こんなこともあんなこともされたがってる。

これぞ世界の常識。
少なくとも私の常識。

おそらくこれを読んでくれている奇特なみなさんは、
わたしのこのまとまりのないお話をもてあましていることでしょうが、

なんといいますか、ちいとむかついてることがありまして、
それをぶつける場所がないんですよ。

楽しいことを考えているときとか好きな人たちと楽しく過ごしているときは忘れていられるんですけど、
その麻薬効力が切れるとまたふつふつと・・・。


んで、こんな支離滅裂な文章になっちゃうわけです。
具体性に欠けますが今日のところはご勘弁くださいな。

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